✳︎ピアノとの出会い

私がピアノを始めたのは5歳の時です。母に連れられ音楽教室に通い始めました。

元々童謡の歌が好きだった私は、きれいな歌声に惹かれて当時から音楽をよく聴いていました。

教室では練習した曲を先生に聞いてもらえる事が待ち遠しく、楽しく通っていたのを覚えています。

グループレッスンで始めたばかりの頃は、リズムのマネをしたり母と親子で触れ合える楽しい時間だったことを未だに記憶しています。

時々レッスンの帰りには、その階下にあったお店に寄れた事も子供ながらに楽しみの一つとなっていました。

 

✳︎家に初めてピアノがやってくる!

幼少時代は、大人しいタイプだったとおもいます。小学生の時にプールの時間で泳げなかった私は、スイミングに通ったり、そろばん、そしてピアノに通い続けていました。それまではキーボードで半年間練習をしていましたが、小学一年生の秋に憧れのピアノ(アップライトピアノ)を買ってもらうことになりました。

その日を待ちに待っていた私は、学校の授業でもその事ばかりを考えて、ワクワクしていました。

でも、楽しみに帰宅すると、部屋のリビングで待っていたのは黒い色のピアノではなく、茶色の木目のピアノでした。イメージしていたものとは色が違ったため、そのときは心の中で茶色のピアノは少し嫌だなと感じたのを覚えています。(ピアノのイメージが黒だったので、がっかりしたのです。)

ただ年数が経つと、お友達の家では見かけない木目のピアノが特別に思え、高校生になるまでの十年間、毎日触れる事となる大切な楽器となりました。

 

✳︎音が溢れる子供時代

小学生から毎日、夕方六時からピアノの練習と決めていた私は、憧れの曲の楽譜を母に購入してもらっては家で弾いていました。当時はリビングにピアノを置いていたので、一人で練習という感覚はなく、弾けるようになった曲をよく聞いてもらっていました。音楽が好きだった私は、中学生になって吹奏楽部に入りました。第一希望のフルートは希望者が多くジャンケンで負けていまい、ホルンを吹くことになりました。ピアノでは苦労しなかった、「音を出す」ということに四苦八苦しましたが、一音を出すということの難しさ、ピアノ以外の楽器の経験をすることができた事は、大きな学びとなりました。そして、練習していくうちに暖かみのある音に癒されるようになっていきました。ピアノは一人で演奏する事が多かったので、みんなとのアンサンブルが楽しく、中学校生活は充実していました。

 

✳︎進路、これからの道

中学校3年生になり、進路の事を考えるようになった時、高校では音楽をもっと深く学びたいという思いから、当時の先生の勧めで音楽科のある高校の夏期講習に参加しました。その夏期講習ではピアノ演奏以外にも、音を聴き取って音符を書くという聴音や歌の時間があり、そこで初めて「音を聴いて音符を書く」という体験をしました。聴いて弾く経験はあったものの、楽譜に書く経験がなかったので、聴音は一番下のクラスからのスタートでした。これでは入試には間に合わないと思い、半年間ピアノ、歌、聴音、そして、音楽の基礎知識を学ぶべく楽典のレッスンを受けることになり必死にレッスンに通い続けました。三箇所でのレッスンだったので家から一番遠いところでは車で片道一時間半ほどの場所にも通っていました。この頃から色々な先生の所にレッスンに通えたのも、両親の協力があっての事でした。半年間のその努力が実り、晴れて合格し、その後大切な恩師との出逢いで音楽への学びをより一層深めることになりました。

 

✳︎充実した高校生活

電車通学となった私ですか、バス停までは歩いて行くには遠い所にあったので3年間毎日母が車で送り迎えをしてくれることとなりました。授業の半分以上は音楽の授業だったと思います。この頃は学期末ごとに『課題曲を一か月で仕上げる試験』に精一杯励んでいました。またご縁があって毎週レッスンをうけることになった、恩師との出会い。(音楽の道標を与えてくれた先生です。)先生はとてもユーモアがあって明るく、気さくにレッスン以外の事でも何でも話をしてくれました。コンクールを勧めることで私に挑戦する大切さを教えて下さり、日本教育連盟で賞を頂いたことで自信もつき、コンサートにも声をかけていただき出演させて頂きました。

高校では共に音楽を学ぶ友人との出会いがとても刺激となり、私自身を更に向上させてくれました。振り返ればこの三年間はとても新鮮で充実しており、今でも大切な思い出で私が音楽を学ぶ原点となりました。

 

✳︎大学からのたくさんの出会い

学生時代最後の大学では、友人とコンサートを聴きに行ったり、たくさんの講義を受けたりと、更に色々な事を学ぶことができました。地元の中学校に教育実習で音楽を担当し、中学校•高等学校1種免許(音楽)を取得しました。この頃から身体の使い方にも興味を持ち、ピアノを弾くにはもっと心地よい弾き方があるのではないかと感じていました。と言うのも座って弾くに関しても、浮いている感覚であったり、弾いていても何か疲れる感覚があったからです。

その後、卒業してずっと慣れ親しんでいた音楽教室の講師としてレッスンをすることになりました。そのことを高校の恩師に伝えたところ、とても応援してくれました。そして、それからも変わらずお手紙をくださったりコンサートの出演にも声をかけてくださったり、交流を続けてくださいました。レッスンだけではなく高校を卒業してからも気にかけて下さり、有り難く嬉しい気持ちでした。音楽教室では平日から土曜日までは8年ほどレッスンをする日々でしたが、出産を機に週に一回に減らし、しばらく子育てに専念することになります。

 

✳︎子育て奮闘の毎日

子育てに専念すること10年以上の間は、目まぐるしい日々を過ごしていました。子育ては想像していた以上のエネルギーですが、合間にはピアノを弾いたり、ピアノ以外の趣味では消しゴムハンコや、ビーズ、洋裁からリース作りなどに加えて菜園にも挑戦して野菜を作っています。音楽の勉強を重ねる中で、最近では子供達から『お母さん、ピアノのお仕事もっとしていいよ』と言われる事も多くなりました。

そんな折、突然の悲しい恩師の訃報を受けることになります。

 

✳︎ピアノと恩師の出逢い

その悲しい知らせにとてもショックが大きく、数年の間は受け止められませんでした。

恩師とのすばらしい思い出はたくさんあります。大学受験のために新たな先生にレッスンを並行して受けるときでも、そのレッスンに足を運んでくださったり、プライベートな話も笑顔で聞いてくださったり、一緒に食事をする際はいつも励ましの言葉をかけてくださりました。そして、大人になった私に恩師から一曲の楽譜をプレゼントしてもらいました。

手紙には『いつか、聞かせてね』と添えられ、私の雰囲気にイメージが重なったからと言って送ってくれた曲。

日々の生活に追われ、練習を重ねても自分の納得のいく演奏に辿り着かず、もっと自分のものにしてから!という気持ちから16年という長い月日が流れてしまいました。今年こそは人前でこの曲を演奏しようと心に決めています。音楽を通して出会えた大切な先生に恩返しが一つできるかなと思っています。また身体の使い方を学び、私自身の演奏も以前より楽に弾くことができるようになりました。生徒さんの弾き方においても具体的に伝える事ができるようになりました。まだまだ勉強中ではありますが、レッスンでも生徒さんに弾き方がわかりやすい!と好評を得ています。昨年は認定講師も取得できました。

恩師との出会い、そして今、音楽を通して出会えた友人や、20年以上ピアノ講師としてレッスンをする間に出会えた生徒さんたち、何よりいつも見守り支えてくれた両親に感謝の気持ちで一杯です。幼少の頃に出会えたピアノが人との縁を繋げてくれました。音楽に親しむ中で、心の宝物ができました。まだまだ学びは続けていきたいと思っています。